H”大社の真相の蛇足



信者、ってのは、単純に、あるものを信じる人、なわけですが、普通、神様を信じる人のことですね。そして、神様の啓示を受けたら盲目的に従い、神様を絶対の存在として支持するわけです。こういう人が、一般的な意味で使われる「信者」であるわけで・・・

さて、この言葉が、微妙に応用され始めたのは割と最近のこと。何かの会社や製品やサービスを絶賛する人々を「信者」と呼んで蔑み始めたのが始まりだろうと思います。もちろん、こういう絶賛する人々が、おおよそ考えられる範疇をはるかに超えるしつこさで人にそれを勧めて回る(たとえばネット上の掲示板にマルチポストする、など)といった嫌がられる行為をしたからこそ、こういった言葉が生まれ、かつ、蔑みの意味を込めて使われるようになったことは想像に難くはないわけです。

んでね、ちょっと、最近、この言葉を使いすぎている、というか、濫用というか、とにかく、簡単に使いすぎますよね。おかげで、特に信者の多いモノを使っている人は肩身の狭い思いをします。 さて、ここで、一般的に言うところの信者の行動を挙げてみます。

1.自分の神様を信奉する
2.他の神様を誹謗する
3.他の神様を信奉する人を誹謗する

という感じでしょうか。

1は実に無害です。何を信じようがその人の勝手、その人がそれで財産を無くそうが、誰にも(家族は別にして、ネ)迷惑はかけません。2も、別に問題のある行動ではないはずです。確かに、他の神様を信奉している人には聞こえが良くないですが、気にしなければ良いんです。むしろ、自分の神様を人にどうとか言われたぐらいで信心が揺らぐというなら、最初から自分の神様を信じる理由が薄かったんでしょう。問題は、3なんですよね。

これね、みんな錯覚しているんですけど、宗教を理由にした戦争とかって、全部3が原因で起こってるんですよ。だって、そうでしょう?。2をやるために他の神様相手に戦争起こすわけにはいかないじゃないですか。つまり、「異教徒を排除しようとする」という行動が、一番迷惑な「信者の行動」であって、そういったことを行う人が一番非難されるべき「信者」なんです。

さて、話を俗世(笑)の信者の方に戻しますが、あのね、ほとんどのH”愛好者って、1の行動しか起こさないじゃないですか。たまに私のようなトチ狂った愛好者が2のような行動を起こしますよね。でもね、私も自信を持って言いますが、3のような行動をとったことはないですよ。私はドコモ批判はしますが、ドコモユーザ批判をしたことはほとんど無いですよ。親兄弟みんなドコモユーザですし、それをおかしいと思ったことは一度もないですしね。

でもね、ネット上で「信者」と誹謗中傷されるのは、こういった1や2の行動しかとらないH”愛好者達なんです。そりゃ、嫌ですよ、だれだって。別に、中傷された相手のことをとやかく言ったわけじゃないのに。単に自分の使っているものが良いものだよ、他社のはここがダメ、と言っただけなのに。

でね、ここが核心ですよ。こうやって、H”愛好者のことを「信者うざい」と中傷する行動って、3の行動とまるで同じですよね。他の神様を信奉する人を誹謗する。いやね、もし何に対してもこだわりを持たない(=1や2を行わない)中立の人だったとしても、3の行動をとっちゃってるんですよ、一番迷惑な信者的行動をとっているわけですよ。世界を覆う宗教的いがみ合いの原因となっているのと同じ行動をとっているわけですよ。ネット上の掲示板を荒ませているのは熱狂的な愛好者達じゃなく、こういった3の行動をとる「潜在信者」なんですよ。

もちろん、H”愛好者の中にも、明らかに「信者」な人はいますよ。「H”はここがダメじゃん」と言われて腹を立て、「H”の良さが分からんお前は馬鹿だ」と返す人。これは3の行動なわけで、立派な信者です。でもね、こういう行動をとる人に対して怒り、排除しようという行動そのものがやはり3なんです。分かりますか?。

どうして人って、他人をほうっておけないんでしょうね。純粋に助けたい、迷惑行為を無くしたい、という欲求もあるし、相手の意見を自分と同じに変えたい、同化させたいという欲求もある、でもね、ほうっておいてあげるって重要なんですよ。無益な争いって、人をほうっておけないから起こるわけです。分かっているとは思いますが、意見を戦わせることとは違いますよ、これ。相手の意見を聞き自分の意見を述べ、お互いの共通点と相違点を突き合わせてみる行為はとても大切です。でも、相手の意見を変えさせようという努力ほど空しいことはないとは思いませんか?。良く思うんですが、自分と違う意見を聞くことで自分の意見が曲げられてしまうのではないかと錯覚している人がとても多い気がします。だから、他人の意見を自分と同じに変えようとする、異なる意見は反射的に拒否しようとする、こういった行動に出るんじゃないかと思うんです。でもね、人の意見を聞き、自分の意見を言う、これって、そう言うこととは無縁じゃないですか、議論って、勝つことが目的じゃなく相手のことをよりよく理解することが目的じゃないですか、それだけなんだと思うんですけどね。お互いがお互いをこういうように考えていれば、争いになることは当然無いですよね。

なんだか話がとりとめなくなってきたので、この辺にしておきます。要は、人のことを「信者」と誹謗の意味を込めて呼ぶ人、こういう人を心の中で嘲るのはいいけど、もし我慢できずにその人をあからさまに非難したらその瞬間に自分もそんな信者の一人になっちゃっているってことなんです。無意味な連鎖は自分のところで止めよう、と思うわけで、もし可能ならみんながこう考えてくれたらいいなぁ、と思ってる、ってだけです。

はぁ、無意味な文章だなぁ・・・



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